「新しい季節」雅歌の学び 第7回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2019.10.27)より
雅歌の学び 第7回
聖書箇所:雅歌 2章8節~17節

私の愛する方は、私に語りかけて言われます。「わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。ほら、冬は過ぎ去り、大雨も通り過ぎて行った。地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。山鳩の声が、私たちの国に聞こえる。」
2章10~12節

イスラエルにおいては、私たち日本人の言う四季のうち「春」とか「秋」という季節を表わす言葉はありません。
イスラエルにおける一年は「冬」(雨季)と「夏」(乾季)からなる「二季」です。
そして神さまの定められた三大祭(過越の祭り、七週の祭り、仮庵の祭り)すべては花が咲き乱れる初夏から、実を結ぶ夏の間にあります。

「わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。」
申命記 11章14節

聖書で「先の雨」とか「後の雨」という場合、それは冬の季節のはじめと終わりを意味しています。
冬の大雨の後に、夏の収穫のシーズンがやってきます。

花婿は「さあ、立って、出ておいで」とシュラムの女に呼びかけます。
実を結ばないシーズンは終わり、新しい始まりに対する呼びかけです。
「地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。」
私たちの人生にも新たな始まりがあります。
心機一転、過去を振りはらい、新しい恵みのシーズンに一歩踏み出していく時季があります。
でもそのためには、誰でも冬のシーズンを通る必要があります。
雨季が必要なんです。
実を結ぶために、整えられるために神さまはそのシーズンを通されます。
アブラハムやモーセ、ダビデも荒野を通るシーズンがありました。
実を結ばないシーズンがある。それはそれでいいのです。
無理に実を結ぼうとしないでください。
見せかけなくてもいいです。
そのシーズンを通り、実を結ぶ人生へと変えられていくからです。

どんなすさんだ状況でもいい。
ほんの小さな信頼でもいいから、神さまを信じること。
そこからすべては始まります。
うめくときもあります。
自我が砕かれていきます。
痛みを経験します。
でもそこから、私たちは希望を見ることができます。
約束を握っているから、ゴールを見ているから、栄光のからだを与えられる事を知っているからです。
あなたが愛に目覚めるときシーズンが変わります。
今日、この時から変化が始まるのです。

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