岡崎ホープチャペル発行の週報(2021.07.18)より
聖書箇所:創世記 2章23節~25節
創世記 2章23~25節
この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。
エペソ人への手紙 5章31~32節
「結婚」。そこに神さまの隠された奥義があります。この創世記2章の最後になぜ結婚の規定が出てくるのか。パウロが「この奥義は偉大です」と言っています。この「結婚の奥義」はとても大切だからです。それは花婿なるキリストと花嫁なる教会との永遠の関係をあらわしています。「深い眠りの中で」アダムからエバが生み出されました。それは最後のアダムであるイエスさまが眠られることによって、キリストの花嫁である教会が創造されることでもあったのです。
①それゆえ男は父母を離れ。
何故、「人はその父母を離れなければならないのか」自立しなければいけないから?親はめんどくさいから?自由になりたいから?そんな私も思春期には早く家を出たくてしょうがなかった。
ここで「離れる」と訳されたことばは「捨てる」という意味でも使われます。すなわち「父母を離れる、父母を見捨てる」という意味で使われています。強いことばですね。めんどくさいから捨てる?自由になりたいから捨てる?それは違いますね。聖書が言うには目的があります。「父母を離れる」目的はただ一つ「妻と結び合い、ふたりは一体となるため」なのです。このことが重要なのです。
そしてそれは文字通りに「父と母を見捨てる(離れる)」ことではありません。
聖書はむしろ「あなたの父と母を敬え」と教えています。ここで「父母を離れ」と言うのは、あくまでも、新しい夫と妻のかかわりを優先させるためです。優先順位のことです。結婚においての神さまの深いみこころは、父母との関係より、新しい夫婦の関係の方が優先されるのです。妻と結ばれ、一体になるためにはどしても必要な条件なのです。それが新しい関係なのです。そしてその新たな夫婦関係は、新しい家庭において「夫をかしらとして、妻はそのからだとして」の秩序をもって築くようにと聖書は教えています。
エペソ人への手紙 5章25節
自分のいのちを、愛をもって妻のためにささげる。結婚したい若者たちよ。覚悟してください。結婚は自分の欲求のためでも、体裁のためでもないのです。それが夫です。
エペソ人への手紙 5章22節