「皮の衣。その①“エバ”」創世記マスタープラン 学び第33回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2021.10.10)より
聖書箇所:創世記 3章20節~21節

「人は妻の名をエバと呼んだ。彼女が、生きるものすべての母だからであった。
神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。」

①妻の名をエバと呼んだ。

アダムはその妻の名をエバと呼んだ。
アダムは、蛇に対するのろいのことばを聞き、女に対する神さまのさばきを聞いた。そして自分に対する神さまのさばきを聞きます。「あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」と。すなわち「あなたは、必ず死ぬ」というさばきの宣告を聞くのです。そのような中で、彼はある行動にでます。アダムは神の御前に出て、妻に名前を付けます!隠れていた園の木の間から出てきて、口を開きます。「エバ」と。。。

「エバ」=「いのち」です。と呼びます。

罪の代償としての苦しみを聞き、「必ず死ぬ」と死の宣告を受け、普通なら生きる希望を失い、自分の行いを後悔し、力なくその場にうずくまる。。。本当なら、そのようなシーンですね。しかしアダムは、ここで「エバ」と妻のことを呼びます。ここに「いのちがある」とエバに希望を見出します。自分の罪を認めず何とか逃れようとしていたアダムですが、もう一度、最愛の妻、そして神さまの恵みに目を向けます。

アダムは神さまのさばきの中にも、神さまによる救いを信じることができました。

いのちへの希望を抱くことができたのです。それはアダムが、「女の子孫から救い主が生まれ、その子孫が蛇の頭を踏み砕く」という、神さまのみことばの約束を信じることが出来たからでしょう。それで「人は妻の名をエバと呼んだ。彼女が、生きるものすべての母」となる祝福に預かったことを知ったからです。「ここにいのちがある」と知ったのです。

二人は今、神さまの御顔の前に立っています。

もと居た場所に、関係に戻っています。これが悔い改めです。自分たちが裸であることを知った二人は、自分たちでいちじくの葉をつづり合わせて、腰の覆いを作りました。ありのままの自分を受け入れることができなかったからです。二人が自分の裸を隠すために作った物は、永続的なものではなく、すべてを覆うものでもありませんでした。でも、その姿で神さまの前に出て行きます。神さまのさばきの中にも祝福の約束があることを知ったからです。ハレルヤ!

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