「王室の役人の息子のいやし」七つのしるし 学び第2回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2021.11.14)より
聖書箇所:ヨハネの福音書 4章43節~54節

①見て信じる信仰。

イエスさまは数え切れないほどの多くのしるしをなされました。しるしを見て、イエスさまについて来る群衆はいました。しかし、人々はそのしるしを見てもなかなかイエスさまがメシアであることを信じることができません。イエスさまが復活した後に、トマスに言われたことばが印象的です。

イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」

率直に言うと「見て信じる信仰」をイエスはあまり評価されていません。何故なら、自分の都合のよい結果、都合の良いしるしを見て信じた人は、裏を返せば、都合の悪い結果を見たら信じなくなる人だからです。事実、彼らはイエスが奇蹟を行っているうちはついてきましたが、イエスさまが十字架の道を進み出すとついてこなくなります。しるしに頼る信仰の弱さです。そのためにヨハネが多くのしるしの中から、どうしても記しておきたいと選んだしるしが第二のしるしです。

②イエスさまのチャレンジ 46〜47節。

王室の役人は、自分の権力と財産をつぎ込んでも、どうしても息子のいのちを助けたいと思っていました。そんなとき、イエスさまがしるしと奇蹟を行なっているという噂を聞きます。そして願います。「主よ。どうか、どうか、息子が死なないうちに私の家に来て、癒してください。しるしを行ってください。生かしてください。」と必死に願います。

ところがイエスさまは、

48節
イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。」

一見、冷たく突き放しているように思えます。しかしイエスさまが問うている本質は「人々はしるしばかりを求める。それを見たがる。しるしや不思議を見たら信じると。」でもあなたはどうなのか!「あなたは見なくても信じるのか」と言う信仰のチャレンジです。

③見ないで信じる信仰。(応答)49~50節。

イエスさまは彼が望む通りにされませんでした。しかし王の役人は、自分の方法を捨てて、イエスさまのみことばを信じ、丸一日の道のりを歩いて帰っていきます。最初はしるしを求めて来たのですが、イエスさまに出会って、彼はイエスさまが語られたみことばを信じて従う人にされます。彼は帰る途中でしもべたちに会い、息子が急にいのちを得たことを聞きます。つまり、見ないで信じる信仰によってみことばが真実であることを体験したということです。ハレルヤ!
確かに私は、今もしるしと不思議を信じております。イエスの御名によって祈るとき癒しが起こり、奇跡も見るでしょう。でもそのしるしの恵みはほんの一部です。私たちにとって最高のしるしは、イエスさまの十字架と復活であって、最高の奇蹟は私たちの魂の救いです。それがイエスさまご自身の最高の喜びであり、神さまの御業です。

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