詩篇4篇の黙想「特別扱い」

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.1.30)より
詩篇4篇 1節~8節

①詩篇 4:1「ゆとり」

「私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。
あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。」
新改訳3版

「ゆとりを与える」と訳された原語は、「広くする、広げる、大きくする」という意味です。「苦しみのとき」とは、本来「狭い」という言葉です。そこから「逆境の時」、「窮地に陥った時」という意味にもなります。つまり「狭いところが広くされる、窮地にゆとりがもたらされる」という神さまの恵みです。神さまが与えてくださる「ゆとり」は、表面的なゆとりではありません。追いつめられると「ゆとり」はなくなります。でも、神さまのくださる「ゆとり」は、苦しみの中にあっても心の奥底から、じわじわと私たちの思いや感情に働きかけてくださる安心です。ちょうど海の表面が嵐で荒れ狂っていても、海の奥深くでは穏やかであるようなものです。
みことばが聖霊さまによって生きて内に働らかれるとき、あなたには、ゆとりが与えられます。

②詩篇 4:3「特別扱い」

「知れ。主はご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき 主は聞いてくださる。」

愛するみなさん、知っていますか?神さまが、あなたのことを特別に扱われます。主はご自分の聖徒を、神さまに信頼する者を特別扱いしてくださるのです。その特別扱いは、神さまに特別に愛されているという自分に対する「存在のゆとり」とからきます。存在のゆとりとは、「私の存在自体が神さまの好意の中にある」というアイデンティティからきます。

そしてその好意は、一方的な神さまの選びからきます。神さまに選ばれたイスラエルの民は、いつも神さまからえこひいきされます。信仰の父アブラハムも、自分の弱さで妻サラをゲラルの王アビメレクに売ってしまいますが、神さまの特別扱いにより、羊や牛の群れ、男女の奴隷たち与えられ、さらにサラを返してもらいます。ダビデも同じです。一方的に神さまに選ばれ、好意を得ます。神さまは、ご自分のお気に入りには特別な好意をもって特別に扱ってくださるのです。主に信頼する者を分離する、違いを生ませる神さまです。

しかし、聖書では他の箇所で「神にはえこひいきがないからです。」と断言しています。(ローマ2:10~11)…どういうことでしょうか?ここで言うえこひいきは、「救い」に関してです。ユダヤ人もギリシャ人も、異邦人も、イエスさまを信じる者には神さまの義が与えられるという約束においてです。そこには、えこひいきはありません。イエスさまを信じることができるということが、もうすでに特別扱いなのです。ハレルヤ!

 

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