詩篇23篇の黙想②「主との食卓」

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.3.6)より
聖書箇所:詩篇23篇 5節~6節

「私の敵をよそに あなたは私の前に食卓を整え 頭に香油を注いでくださいます。
 私の杯は あふれています。まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。私はいつまでも 主の家に住まいます。」

今日は詩篇23篇の後半から、自分の食卓に招く「神さまの歓迎」について見ていきます。神さまの食卓で味わう神さまの恩寵、その満たしについて確認していきましょう。まず食事を準備し、整えて、自分の食卓に招くということは、招こうとする者に対する主人の歓迎の心をあらわすものであります。あなたをもてなしたい、祝福したい、あなたと喜びを分かち合いたいそれが主人の心です。愛する者たちと、愛する家族と、共に労苦する者たちとリラックスして恵みを味わうのが食卓ですね。そして、その主の食卓は私たちをワーシップという神さまの臨在の喜びで満たしてくれます。

ここでは「主の食卓」に招かれた者の幸いを見ることができます。

主の食卓に招かれること、主の祝宴にあずかるということは、神さまの最高のもてなしを受けることを意味します。しかもこの食卓は「私のために、私の前に」神さまが食事をととのえてくださっているのです。あなたのための、あなたの名前付きの食卓です。しかもその主の歓迎は、「私の敵の前で、敵をよそに」準備してもてなしてくださるのです。いろんな試練や苦しみ、恐れ、不安、、、そのような中にあっても主が私をもてなしてくださる。神さまはエジプトを脱出したイスラエルの民に、荒野において食事(マナ)を備えられました。モーセは敵の前で備えられる主の満たしをいつも体験しました。私たちはその招きにどのように応答しているのでしょうか。。。

ダビデはその招きにいつも応えます。

主との交わりが彼の一番の喜びでした。そして主はそのダビデの頭に香油を注がれます。私たちも、聖霊さまの満たしが必要です。主との交わりを通して、デボーションやワーシップする中で、私たちは主の満たしを受け取るのです。私たちは、たとえ四方八方塞がれて、途方に暮れるようなことがあったとしても、天だけはいつも開いていることに気づく必要があります。それが神さまの恩寵の真実に生かされるクリスチャンの歩みです。私たちは主の食卓で満たされ、そして出て行って人々を主の食卓に招く使命があるのです。ハレルヤ!

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