【七つの武具:5】「マインドの霊vs救いのかぶと②」神の七つの武具:学び第11回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.7.31)より
聖書箇所:エペソ人への手紙 6章10節〜18節

「しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛の胸当てを着け、救いの望みというかぶとをかぶり、身を慎んでいましょう。神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。」
テサロニケ人への手紙 第一 5章8節~9節

かぶとは頭に付けるものです。私たちの思考が守られるために、はっきりと「救い」について理解しておく必要があります。

「救い」を理解するためには「恵み」を理解しなければなりません。

あなたの立場は、ただ恵みによっていることをいつも確認することが、間違った思考に勝利するカギです。間違ったマインドは私たちに対するイエスさまの恵みを忘れさせます。私たちは神さまが恵みによってしてくださったことよりも、自分(人)の罪に焦点を合わせて考えてしまうことが多いです。だからいつも自分を責めたり、人の罪を責めたりしてしまいます。基準が恵みではなく、自分にあるからです。すると救いの確信も弱くなってきます。

責められることのないように、救いの確信を持つ必要があります。

「平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。」
テサロニケ人への手紙 第一 5章23節

私たちは責められることのないように、救いの確信を持つ必要があります。それもあなたがたの①霊 ②たましい ③からだのすべてが責められるところがないようにです。①霊の救いは過去形です(新生)。②たましいの救いは現在進行形です(聖化) 。③からだの救いは未来形です(栄化)。そしてその救いのすべては「恵み」によるのです。

完全な救いの希望を持つことが必要です。

「今は、神が御子の肉のからだにおいて、その死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。あなたがたを聖なる者、傷のない者、責められるところのない者として御前に立たせるためです。」
コロサイ人への手紙 1章22節

私たちはこの完全な救いの希望をはっきり持つことが必要です。そしてその救いはすべて、イエス・キリストの十字架にかかっているのです。イエスさまを主と告白できるのも、私を日々造り変えてくださるのも、いずれ朽ちないからだが与えられるのも聖霊さまの恵みによるのです。だからやがて主の前にでる時、私たちは頭の冠を置いて、ただ主を賛美するのです。ハレルヤ!

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