神様によるもの ガラテヤ書2

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2023年3月号より

「兄弟たち、私はあなたがたに明らかにしておきたいのです。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。」
ガラテヤ書1:11

みなさんはどうやってイエスさまと、福音と出会いましたか?覚えていますか?

ガラテヤにある数々の教会に向けてパウロは、福音は一つであると繰り返し書き残しています。「俺があの時、みんなに分かち合った感動は、この福音から来てるもんだっただろ!」と言っているのがガラテヤ人への手紙です。
一つしかないと主張するその福音は、12節で「ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。」と書かれているように、パウロ自身が考えたのでも、誰かが作り出したのでもなく、天の父から与えられたものなのです。

キリスト以外の福音はないのです。イエスさまが人の子として歩まれ、私たちの罪のために十字架にかかり、葬られ、よみがえられて今も生きているというのを信じることによって救われるというのが福音です。「エッ、そんなの当たり前じゃん」と思うかもしれません。しかし、ガラテヤではここに混ぜものをしたり、引っこ抜いたりしていたという実態が浮かび上がって来たので、この手紙が届いたのでした。

15節から2章の前半はどう福音と出会ったのか、またキリストを体験した後の動きを書いています。1~2章には「神によって」「神から」「キリストによって」と何度も記載されています。福音と出会ったのも「神によって」、出会ったイエスさまを伝えるのも「神によって」奮い立たされたのだと伝えています。しつこく言うということは、大事だということです。福音が「神さまによるもの」であるということを握り続ける必要があるからです。

2章は人によってではない福音が、人によってしまうことがあること、でもパウロはそこを主と共に乗り越えてきたという証が載っています。「神さまによるもの」なんだという確信は、あらゆる困難や葛藤の中で、揺るがないためにとても大切なことなのです。パウロは何度も、救いは「神さまによるもの」だと伝えています。

思い出してください、イエスさまと出会った衝撃のあの日のことを。いろいろな人の祈りや働きはあったけれど、あれはどう考えたって「神さまによるもの」だったな…と味わってみてください。

伝道師 深谷さおり

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