「不正の富で友だちをつくる?」ルカの黙想:学び第36回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.10.15)より
聖書箇所:ルカの福音書 16章 1節〜13節

弟子訓練のために話されたイエスさまのたとえ話

イエスさまの言われることは、ときに単純明快で、ときに理解しがたいことがあります。今日の箇所は間違いなく「えっーどういうこと?」と首をひねりたくなりますが、なんかおかしいと思うところにイエスさまの伝えたい真理が隠されているものです。まず、このたとえ話は誰に向かって語られたのかと言えば、それはイエスさまの弟子たちにです。つまり、イエスさまが弟子訓練のために話されたたとえ話として読む必要があります。

このたとえ話において、理解しがたいポイントは下記2点です。

①「主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた」
②「不正の富で、自分のために友をつくりなさい」

常日頃から主人の財産を無駄遣いしているのですから、この管理人はそれだけでも十分不正な者ですが、その不正がバレて自分が追い出されようとするとさらなる不正を企てます。主人からすれば、どうしようもない困った者です。ところがここで、あまりにもその管理人が抜けめなくやったので主人はすっかり感心してしまいます。もちろんこのたとえを通して、イエスさまが不正に関することを勧めているわけではないことは判断できます。では、イエスさまが言おうとしていることは何でしょうか?

まず不正の富とは、私たちが最も信頼する対象であるこの世の富のことです。

その富を何のために賢く使うのかが、このたとえのテーマです。そしてその答えのヒントが、その富で「友」をつくるということです。その友とは、永遠の住まいで迎えてくれる友、つまり信仰の友です。あなたが得た、また管理している富を「神の国の働き」のために用いること、福音を伝えるために用いること、それらすべてが「信仰の友」「神の家族」をつくることになります。そして、この世の富を用いてあなたの役割を終えたとき、天で、永遠の住まいで私たちを歓迎して喜んでくれる友や、信仰の先輩たちがいます。それが弟子として生きる者の望みですね。

「小さいこと=不正の富=他人のもの」

つまり、この世のはかない一時的な預かりものの使い道に忠実な者に、「大きいこと=まことの富=あなたがたのもの」である、ほんとうに大切な神の国の祝福を任せてくださるという約束です。もしかしたらパリサイ人たちから見れば、イエスさまは不正な管理人に見えたでしょう。取税人や罪人たちを招いて共に食卓を囲むということは、彼らの罪を不当に赦して、受け入れていると見えるです。その負債を取り消したりすれば、それは不正なことをしたことになります。この不正な管理人のしていることは、この世の価値観でいうなら、イエスさまがこの地上に来られてしていることと同じなのです。永遠に価値あるものに、自分の人生を使ってみる最高の招待状です。ハレルヤ!

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