教訓① 1コリント講解 第14回

コリント人への手紙第1 講解 第14回 (2018.04.22)
聖書箇所 1コリント 10 : 1~13

「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。」11節

イスラエルは、雲の柱、紅海が分かれること、マナ、岩からの水など、さまざまなすばらしい神のみわざの中にいました。
このようなすばらしいみわざの中にいたのにも関わらず、エジプトを脱出したイスラエル人の20歳以上の者たちは40年間荒野をさまよって、荒野の中で死に絶えてしまいました。

これらのことを通して世の終わりに臨んでいる私たちは、教訓として自分の生き方を学ばなくてはなりません。

①エジプトにての奴隷状態は、私たちが罪の奴隷であったことを表しています。
②そして、そこから脱出するということは、罪から解放されたことを表します。
③海を渡るのは、古い人に死に、新しい人によって歩むという水のバプテスマを表しています。
④そして、マナや岩からの水は、霊的な食物、御霊の働きを表しています。

モーセが岩を打ったとき、水が流れでました。
その岩とは、イエスさまの象徴であり、岩なるキリストが打たれ、十字架につけられたことを意味します。
打たれたキリストによって、クリスチャンはいのちの水、聖霊をいただくことができたのです。

コリントの教会の人々も、キリストにあるすばらしい体験、御霊の賜物を持っていながら、偶像礼拝や姦淫、権威について、肉の行ないに支配されていました。
そこでパウロは警告として、旧約時代にイスラエルの民に起こった出来事を思い出し、学びなさいとすすめるのです。
次週また、彼らの犯した過ちについて具体的に見ていきます。そのことを通して、私たちの信仰生活の助け、教訓となることを神さまは望んでおられます!

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