「神のみこころに添った悲しみ」2コリント学び第13回

「コリント人への手紙第2」学び 第13回(2018.10.28)
聖書箇所 2コリント 7章8節~10節

「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」
聖書箇所:コリント人への手紙第2 7章10節

パウロはこの箇所で「神のみこころに添った悲しみ」と「世の悲しみ」を区別しています。
「神のみこころに添った悲しみ」は「悔いのない、救いに至る悔い改め」を生み出しますが、「世の悲しみ」は私たちに死をもたらすと言います。
では、神さまのみこころにかなった悲しみが、私たちの内にどのような影響を与えるのか学んでみましょう。

①悔い改めに至らせる。
罪責感を感じて自分を責めるだけだと(世の与える悲しみ)、自虐的になり、自分を破壊してしまう恐れがあります。
自分を傷つけ、自分を痛めつけることによって解決しようとしてしまいます。
それは同時に、その責任を人に押し付ける形で表れてきます。
イエスさまを裏切ってしまったユダは、この罪責感に対する後悔から、いのちを絶ってしまいます。

しかし、良い罪責感(神さまのみこころに添った悲しみ)は、神さまの御前に出て行って悔い改めるようにさせます。
私たちは、罪を悔いるその責めを自分で背負い込んで隠れるのではなく、神さまに告白して立ち返るのです!
これが悔いのない、悔い改めです。

②救いに至らせる。
罪の悲しみを感じたとき、それを神さまの前で悔い改めることによって、私たちは救いを得ることができます。
ペテロは、自分で自分を罰することをせず、自分の罪を神さまの法廷に持っていき、神さまの赦しを受け取りました。
これが重要なのです!
悔い改めには、神さまの赦しを受け入れることも含まれています!

③きよさに至らせる。
罪責感だけでは、罪に汚れた良心をきよくすることは出来ません。
自分が犯した過ちを知るだけです。
しかし、神さまに罪を告白するなら、神さまは私たちの罪を赦してくださるだけではなく、汚れた私たちをきよく洗ってくださいます!
神のみこころに添った悲しみ」は、私たちに神さまの赦しと回復の恵みを与えてくださいます。
もう、お前には罪を認めない!という、この悔い改めを伴う「救い」は、どれほど私たちの人生を堅固なものにするでしょうか!
生きる価値を与えてくれるのでしょうか!ハレルヤ!

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