「異なる福音」その② 2コリント学び第19回

「コリント人への手紙第2」学び 第19回(2018.12.09)
 聖書箇所:コリント人への手紙第2 11章1節~15節

「というわけは、ある人が来て、私たちの宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいはあなたがたが、前に受けたことのない異なった霊を受けたり、受け入れたことのない異なった福音を受けたりするときも、あなたがたはみごとにこらえているからです。」
聖書箇所:コリント人への手紙第二 11章4節

②行いに注意する。
混ぜものが入った行いに注意しなくてはいけません。
教師がどんなに立派なことを言っていたとしても、そこに言葉だけで行いがないなら本物の愛とは言えません。
行いと実は、本物と偽物を区別する重要なポイントです。
イエスさまも、実によって判断しなさいと言われます。
私たちがいくら熱心に奉仕しても、私たちの熱心は主の前で決して誇れるものではありません。
誰より熱心に働いても、それも主の恵みです!
熱心な奉仕を自分の功績と考え、他の人がそれを認めてくれることに期待して仕えるなら、それは教会を苦しめることになります。
望んだほどに認められなかったり、奉仕を人質にして批判したり、つまずいたりするからです。
パウロがここでいうにせ教師も、彼らが求めているのは人に認められることであって、そのために指導者の地位に就こうとしていました。
それは福音ではありません。

③ただ一つのこと!
パウロが言いたいのは、キリストの花嫁として、ひたすらイエスさまを愛し、仕えることです。
本当にイエスさまを愛し、花嫁なる教会を愛し仕えるなら、神さまに喜ばれ、また人々にも認められるのです。
人々に認められることが悪いわけではありません。
本当にキリストに仕える人は、人からも愛され、人々に認められるのです。

ローマ 17 : 17~18
「なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。
このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。」

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