「弱いときにこそ強い」 2コリント学び第20回

「コリント人への手紙第2」学び 第20回(2018.12.16)
 聖書箇所:コリント人への手紙第2 12章1節~10節

「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」
聖書箇所:コリント人への手紙第二 12章9節

世間では、短所を隠し、長所を目立たせることを知恵だと考えます。
自分が有能であることをアピールしようと努力します。
世間では、外面的な地位や名誉、影響力が強いことが力であり、弱いことは無能だと考えます。
弱いことは強さの欠乏であり、強さは弱さを受け入れません。

パウロにも、人に認められたい、賞賛されたい、特別な霊的賜物を誇りたいという誘惑がなかったわけではないでしょう。
でも彼が高ぶらないように、神さまは一つの弱さを与えられました。

キリストの力」が発揮されるのは、「弱さのうち」だとあります。
それは、弱さのあるところならどこでも自動的にキリストの力が働く、という意味ではありません。
この「弱さ」とは、弱さを認めることを指しています。
自分の力により頼むことをやめ、自分の弱さを認めることで、キリストの力を体験するのです。

弱さを覚えるとき、自分には何かが足りない、やっぱり自分はダメだ、と思えます。
しかし、神さまは「わたしの恵みは、あなたに十分である!」「あなたの力ではなく、わたしの力が発揮されるから!」と言われるのです。

自分の弱さも、病も、祈りが聞かれなかったことも、世の考えからするとマイナスにとらえることでしょう。
ところがパウロは、それを通して神さまが証しされることを心から喜び、感謝したのです。
世に誇るべきことを隠し、隠そうとすることを大いに明らかにしたパウロの信仰!神さまの恵みを本当に体験しているからこそできる恵みですね。
ハレルヤ~!

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