「アブラムのこだわり」信仰の父アブラハム 学び第11回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2019.03.24)より。
「創世記」信仰の父アブラハム 学び第11回
 聖書箇所:創世記 14章22節~23節

しかし、アブラムはソドムの王に言った。「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。
糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためだ。」創世記 14章22節~23節

「こだわり」と言うと「執着する」とか「こだわりをつける=文句を言う」とか、昔はあまり良くない意味で使われていました。
しかし今日では、「こだわりのメニュー」とか「こだわりぬいた一着」とか良い意味で使われる方が多いですよね。
今回は「アブラムのこだわり」を通して、私たちクリスチャンとして持つべきこだわりについて確認したいと思います。

神さまの祝福(恵み)にこだわる信仰!いと高き方から祝福を受ける!
アブラムは命がけで戦いに出ました。
愛する者を取り戻そうと無我夢中で出て行き、すべてを取り戻しました。
おそらく多くの戦利品も手に入れたことと思います。
それは戦いに勝利した者の当然の報酬でもありました。
たくさんの犠牲と労力がありました。
でもアブラムは、その事を自分の栄光に帰しませんでした。
メルキゼデクの祝福のことばを喜んで受け、へブル書では「一番良い戦利品の十分の一をささげた」とあります。
これがアブラムのささげものの心です。

それだけではなくアブラムは、ソドムの王に対して「あなたから糸一本でも、くつひもさえも何一つ取らない」と宣言します。
これがアブラムのこだわりです!
アブラムは、神さまの祝福にこだわっていました。
神さまの祝福の約束にこだわっていました。

①神さまが私を祝福してくださるということ。
②私を祝福する者を祝福するということ。
③地上のすべての民が私によって祝福されるということ。

これがアブラムのこだわりです。
アブラムは、この世からではなく、神さまからの祝福を信じ、それにこだわりました。
後から「お前を富ませたのは私だ=この世の方法だ」と言わせないためでした。

私たちもいつも、神さまの祝福にこだわりたいですね。
自分たちのできる能力の範囲ではなくて、私たちの想像をはるかに超える神さまのgood、最善、祝福のうちに歩もうではありませんか!

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