「私にあるもの」使徒の働き 学び第6回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2020.06.07)より
聖書箇所:使徒の働き 3章1節~8節

「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」

①あわれみの心

多くの人たちが、祈りの時間に合わせて宮に集まってきます。宮で祈るために、どうしても通らなければ入ることのできない門が「美しの門」です。その門の入り口に「生まれつき足のなえた人」が運ばれてきます。その人は、毎日そこにいました。彼にとっても、そこを通る人たちにとっても、それはいつもの日常の光景でした。しかしペテロとヨハネは、その日、その時、その人に注目し、あわれみの心が注がれました。ペテロとヨハネに、イエスさまの心が与えられたのです。

②私にあるもの

ペテロとヨハネは「私たちを見なさい」「私にあるものを上げよう」と話しかけます。彼は、「何かもらえると思って」見上げます。彼が求めていたものは、その日一日をしのげるだけの小銭であり、空腹を満たすためだけの食べ物を買えればよかったのです。しかし、神さまが与えようとしたものは、そんなちっぽけな一時的なものではなく、永遠に変わることのない恵みでした。彼はその日、その日を何とかしのげる小銭を求めていました。私たちも「生まれつき足のなえた人」のように、自分に必要なものはいくらかのお金と安定した生活であると誤解しています。でも彼にとって本当に必要なものは、その日暮らしの小銭ではなく、立って歩くことでした。でもそんなことは考えもつきませんでした。生まれつき立ったことがないのだから。しかし彼は、それを得ました。彼に必要なものは「イエスさまの名」でした。

③生き方が変わる

「彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。」
弱っていた彼の足とくるぶしが強くなり、立ち上がり歩き出します。今まで経験したことのない喜びといのちに満ち溢れるのです。ここに新しいいのちがあります。彼がそのことを体験した時、まず何をしたでしょうか?ペテロとヨハネにひざまづいて感謝したのでしょうか。聖書ではそのことには触れていません。彼はただ、神さまだけを賛美しているのです。そして、二人も一緒に神さまだけを賛美しながら宮に入って行きます。

これが救いです!これがGospelです!ただ神さまだけに栄光が帰される!
「あなたにあるものは何ですか?」「イエスの名による力」を持っていますか?今日、あなたにこの「イエスの名」がありますように祈ります。

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