永遠の視点で生きる

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2021年3月号より

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」
伝道者の書 3:11

この地上の人生だけが、すべてではありません。私たちにとって重要なことは、永遠の視点をもって生きることです。
私たちは誰でも、いつの日か自分の心臓が止まることを知っています。それが一般的に理解されている「死」です。でもそれは、私たちの肉体と地上における時間が終わったことを意味しますが、それで私たちの「霊のいのち」が終わるわけではありません。キリストにある者は、私たちの地上における「霊」の一時的な住まいである肉体は終わりますが、永遠に神さまと共に生きる朽ちることのない栄光のからだが与えられることを知っています。

パウロは言います。
「たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。
私たちはこの幕屋にあってうめき、天から与えられる住まいを着たいと切望しています。

その幕屋を脱いだとしても、私たちは裸の状態でいることはありません。
確かにこの幕屋のうちにいる間、私たちは重荷を負ってうめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいからではありません。死ぬはずのものが、いのちによって呑み込まれるために、天からの住まいを上に着たいからです。そうなるのにふさわしく私たちを整えてくださったのは、神です。神はその保証として御霊を下さいました。」
コリント人への手紙 第二 5:1~5

地上では多くの選択肢がありますが、「永遠」にはたった二つの選択肢しか用意されていません。
それは新しい天と地か、第二の死ゲヘナかです。私たちがこの永遠の視点で生きていくとき、あなたの価値観は一変するはずです。与えられた時間やお金を何のために使うのかが、明確になってきます。今、与えられている地上でのいのちを喜び、同時に永遠のいのちへの感謝を持って生きることができるようになります。そして救われた者として、限られたこの地上でのなすべき使命が与えられていきます。これが【永遠の視点で生きる】ことができるクリスチャンの恵みですね。
ハレルヤ!

牧師 佐藤耕二

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