自由の子 ガラテヤ書9

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2023年10月号より

「私たちは女奴隷の子どもではなく、自由の女の子どもです。」
ガラテヤ4:31

先月号の、パウロの「あなたの幸いはどこにあるのか」という悲痛な叫びの続きは、イエス・キリストを信じる信仰によってただ恵みで救われているんだったよね、と繰り返し確認を促しており、当時の彼らにとって分かりやすい例えを用いています。

ただ、彼らにとって馴染みのあることでも、現代を生きる私たちにはちんぷんかんなことが多いです。だからこそ、私たちは日頃から聖書通読が大切になってきます。旧約の当時を把握することで、「あ~あれね」となるわけです。

今回引用されているのは創世記16章から21章に渡って書かれているアブラハムの息子イサクとイシュマエルが生まれるまでの過程です。人の知恵によって女奴隷から生まれた子なのか、神さまの約束によって妻から与えられた子なのかの違いを通して、ガラテヤのクリスチャンたちに向かって、あなたたちは約束によって生まれた自由の子だと言っています。

そして、福音に足したり引いたりしてガラテヤの数々の教会を惑わしてきた律法主義者たちのことを、女奴隷から生まれた存在と変わらないぞと主張しているのです。4:25後半「今のエルサレムは、彼女の子らとともに奴隷になっているからです。」さらに30節後半「女奴隷の子どもは、決して自由の女の子どもとともに相続すべきではないのです。」とまで言っています。

肉によるものの方が正しく思えたり、豊かで祝福されているかのように見えることがありますが、そうではありません。5:1「キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。」パウロは、クリスチャンとは肉で仕上げようとする者から、御霊によって生かされる者に変えられた存在であることを様々な観点から伝えています。

イエスさまを信じてみようと一歩踏み出した時に、私たちは自由をいただきました。「解放してくださる」ではなく、すでに「解放してくださった」ということを覚えて、神さまから受け取った本当の自由をさらに味わっていきましょう。

伝道師 深谷さおり

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