詩篇8篇の黙想「神への感嘆・驚き」

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.2.6)より
詩篇8篇 1節~2節a

「主よ 私たちの主よ
あなたの御名は全地にわたり
なんと力に満ちていることでしょう。
あなたのご威光は天でたたえられています。

幼子たち 乳飲み子たちの口を通して
あなたは御力を打ち立てられました。」
詩篇8篇 1節~2節a

信仰者にとって、このような神への驚きは、神さまとのきずなを深めるうえで、とても重要な要素です。ダビデは、人生の様々な問題や妬みの渦中にあって、その視点を問題や状況に向けるのではなく偉大な神さまに向ける感性を持っていました。その感動が、ダビデの主にある信仰の歩みの原動力でした。私たちの信仰生活の歩みも、同じように何らかの感動によって動機づけられ、それが行動として誘発させられていきます。分かりやすく言うなら、神さまの恵みに感動するから、あなたはその恵みに応えてみことばに従っていきます。神さまの愛を知ったから、愛したいとあなたの行動が変わります。神さまへの感動・感嘆・驚きがあなたの生き様を創り出していきます。逆に神さまに対する無感動は、無気力を産み出します。もしあなたに十字架の恵みに対する感動がないなら、神さまの愛に対する驚きがないなら、イエスさまのために生きる動機はなかなか生み出されません。

「幼子たちと乳飲み子たちの口を通して、御力を打ち立てられる」という驚き

この詩篇8篇では、二つの「驚き」が記されています。そのひとつは1~2節「主の力強さ」に対する感動です。それは、神さまが「幼子たちと乳飲み子たちの口を通して、御力を打ち立てられる」ということへの驚きです。ここでは具体的に神さまに敵対する者(勢力に)に打ち勝つことです。無学であり、能力もなく、弱い貧しい幼子たちの賛美を通して「神の力を据えられる」のです。ハレルヤ!それが福音ですね。

もう一つの驚き「人とは何者なのか」(4節)

人間の尊厳と存在に対する驚きです。多くの人は、どうして、なぜ、と起こる問題を見て神さまにつぶやきます。しかし、ダビデは神さまのみわざを見て、どうしてこんなに小さい、弱い、罪深い私を心に留めてくださるのか。「あなたが、こんな罪深い私を、人間を心にかけて忘れることはない」と顧みてくださるとは、何という恵みなのかと感動します。私たちも同じですね。十字架を見上げるなら、あなたのつぶやきは、驚きに変わります!どうして、なぜ、そこまで神さまは、こんな「私」を愛してくださるのか!その感動が、あなたに生きる意味を持たせます。ハレルヤ!

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