「何も持たずに」ルカの黙想:学び第17回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.6.4)より
聖書箇所:ルカの福音書 9章1節〜6節

「イエスは十二人を呼び集めて、すべての悪霊を制して病気を癒やす力と権威を、彼らにお授けになった。そして、神の国を宣べ伝え、病人を治すために、こう言って彼らを遣わされた。」
ルカの福音書 9章1~2節

これまでイエスさまは、弟子たちと共に過ごしながら神の国の奥義を教えてこられました。

しかし、ここにきてイエスさまは弟子たちに力と権威を与えて、彼らを村々へ派遣します。この時点では、まだ弟子たちは十分に訓練されておらず、権威を与えて送り出すには少し早いような気がしますが、イエスさまは彼らを送り出します。それはやがて、彼らが世界中にキリストの弟子として遣わされるために必要な訓練でもありました。

遣わされる者の心得その①「イエスさまから授かっているものを知ること」

弟子たちには当然、病気を治す力も悪霊を追い出す力もありません。しかし、そんな弟子たちを通して奇蹟が起こります。イエスさまの権威により、弟子たちを通して神の国が臨みます。それは遣わされる者が、その権威を自分の力であるかのように誇ることがなく、神さまのなされる権威を悟ることができるようになるためです。

遣わされる者の心得その②「旅には余分なものは持っていかないこと」

「旅には何も持って行かないようにしなさい。」3節

キリストの弟子は身軽でなければならないのです。それは、 旅人であることでもあります。アブラハムのように、地上では旅人であることを悟るためです。この地上での私たちの生活は仮の住まいだからです。愛するみなさん、あなたの人生は「旅人」の歩みですか?本能的に安全を求める人間にとって、「何も持たない」というほどの大きなチャレンジはありません。完全に神さまからの供給を信じなければ、そのチャレンジに応えることはできないからです。荒野でマナが降ってきたとき、次の日も神さまが日々の糧を備えてくださるという信仰がなければ、できるだけ多くのマナを蓄えようとしますよね。実際、イスラエルの民も余分に集めて、次の日には腐ってしまいました。

遣わされる者の心得その③「家を見つけること」

その地に立つ家、人が重要です!そこから福音が宣べ伝えられるからです。イエスさまに信頼して弟子たちは出かけますが、いつも宿を見つけて、成功したわけではありません。失敗もあるし、迫害もあります。受け入れてもらえないなら無理に責任を負う必要もないとイエスさまは言われます。「足のちりを払い落としなさい。」との命令は、福音を伝える重荷から私たちを自由にしてくれます。私たちはとどまって福音を伝えますが、伝えた後の責任を私たちが負う必要はありません。だから何も持たずに弟子たちは出ていけるのです。遣わされたイエスさまがいつも共にいて、責任をとってくださるとは、なんと感謝なことでしょう。ハレルヤ!

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