「最高の招待状」ルカの黙想:学び第32回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.9.17)より
聖書箇所:ルカの福音書 14章 12節〜24節

ルカの14章には、四つの話が出てきますが、そのテーマは食事です。

①安息日の食事
②披露宴での食事
③晩餐会での食卓
④神の国の食事

今日の結論「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」

私たちがパーティーに招待されるためには、何らかの理由があります。親族だったり、友人だったり、肩書きのある人たちだったり。。。でも神の国の食卓は、そのような条件はいりません。神の国の食卓は、あくまでも恵による一方的な招待であり、祝福です。神さまはこの世を救うために、すべての人々に招待状を送られました。その招待状は豪華客船クルーズよりも価値ある招待状です。その招待状には、あなたにある条件や資格は一切いらず、すべてが準備され整えられています。あなたに最高の服と、すべてのフリーパス券まで付いています。まさしく「なんと幸いなことでしょう!」

しかし、その招待を断る人々がいます。

その食事会は「盛大な宴会」であり、「大勢の人」を招く主人は、非常に身分が高かったことを暗示しています。その食事会の招待はもうかなり前になされていて、あとは“その時“を待つだけでした。待ちに待った「宴会の時刻」が整ったので、主人はあらかじめ招いておいた人々にしもべを遣わして知らせます。でも、その招待を人々は断るのです。その人たちの特徴は、みな同じように主人の招きをそもそも受け入れる気がありませんでした。その招待に応える優先順位がなく、まるで断る理由を探しているかのようです。

何にも代えがたいその宴会の素晴らしさを理解していないのです。日々の営み、この世の価値観の中で忙しく、主人が招待した食卓の恵みがわかりません。しかし、そんな中で祝宴にあずかる者たちがいます。その人たちは本来、宴会に招かれていなかった人たちです。貧しい者、目の見えない者、足の不自由な者。。。彼らは、自分たちの律法では神さまの祝福を受け取ることができない枠外の人たちでした。受ける価値のない者に与えられるのが福音です。大通りや路地で、その声を聞いて招きに応えた人は、すべてその主人の本当の祝福を受け取りました。

この家がいっぱいになるように

だから主人の心を知るしもべたちは大声で叫び、無理にでも人々を連れて来ます。その大切さを知っているからです。しもべたちは「さぁ。おいでください。」と招きます。路地に出て行き、大声で招きます。それでも、まだいっぱいになりません。「この家がいっぱいになるように」主の心を知り、人々を招く者でありましょう!

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