「赦しの福音」ルカの黙想:学び第58回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2024.3.31)より
聖書箇所:ルカの福音書 24章 44節〜53節

ルカの福音書は礼拝で始まり、礼拝で終わります。

ルカの福音書の初めは、祭司の務めとしてザカリヤが神殿の中の聖所に入り、香をたく礼拝から始まります。古い律法による礼拝です。しかし、ルカの福音書の最後は、イエスさまと出会い、喜びに満ちた者がいつも宮に集い神さまをほめたたえている新しい礼拝で終わります。

イエスさまが復活の姿をもって弟子たちに現れてくださったのは、復活の事実を証明するだけではありませんでした。イエスさまの復活によって何が実現されたのかというと、

「それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて」(45節)

とあるように、弟子たちの心を開くためでした。ここで使われている「心」ということばは、知性、理性の領域を表す「心」で、私たちの理解(力)、判断(力)、分別力、考える力を意味します。つまり、イエスさまは私たちが聖書の啓示を正しく理解することのできるように、復活を通して弟子たちに示してくださいました。

イエスさまが弟子たちの心を開いて最後に悟らせようとしたことは

イエスさまの十字架の死と復活のみわざによって与えられる「赦しの福音」です。ルカはずっと、この「赦し」を語ってきました。ルカだけが、十字架上でのイエスさまの最初のことばを記しています。そのことばが「父よ。彼らの罪をお赦しください」でした。最後に弟子たちに与えられた使命も

「その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」(47節)

でした。罪からの解放を与えてくださる悔い改めが、全ての人々に宣べ伝えられるのです。サタンの策略は、この罪によって私たちを縛り、責め立て、イエスさまの福音を宗教にしようとあざむいてきます。復活の力は、この縛りからの解放です。自分たちのための宗教ごっこからの解放です!

イエスさまの十字架も復活も通過点でしかありません。

イエスさまのゴールは、再びイエスさまを愛し慕い求める者たちを迎えに来ることです。それまで私たちがすべき第一の使命は、聖霊により主を礼拝することです。そこに赦しの福音があり、喜びがあり、自由があります。だから教会にいのちがあるのです。ルカが記した、水がぶどう酒に変わる奇蹟は、古いきよめのしきたりに使うみずがめの水が、喜びといのちの象徴であるぶどう酒に変えられたことでした。赦しの福音と聖霊によるいのちの喜び、主の恵みをしっかり握って、主が再び来られるのを心から待ち望みましょう。ハレルヤ!

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