ヨシャパテ王①(北イスラエル王国)旧約人物伝 第33回

Ⅱ歴代史
旧約聖書 人物伝 第33回(2018.02.04)

ソロモン王の後、王国は分裂。

北イスラエル王国と南ユダ王国になりました。 北イスラエル王国と異なり、南ユダ王国はダビデの子孫が王についていました(Ⅱ歴代誌7:18、23:3)。
南ユダ王国では神殿でイスラエルの神を礼拝。
しかし 北イスラエル王国のバアル礼拝が持ち込まれたこともありました。

ヨシャパテ王の父アサ王は神と共に歩み、長期政権(41年間)を保つ良い王でした。
「ただ一筋に喜んで主を慕い求め、 ・主は周囲の者から守って」(Ⅱ歴代誌15:15)。
しかし、アサ王は長い安定になれすぎて失敗を繰り返しました。
北イスラエル王国のバシャ王の襲撃に対して、神に拠り頼まず、アラムの王ベン・ハダテに助けを求めた(Ⅱ歴代45:2~10)。
病気になったとき、「主を求めることをしないで、逆に医者を求め」(Ⅱ歴代誌16:12)

父アサ王の失敗に学んだヨシャパテ王が治世の初めに行ったのは、

①「ユダにあるすべての城壁のある町々に 軍隊を置」(Ⅱ歴代誌17:2)いたこと、
②「高き所とアシェラ像をユダから取り除いた」 (Ⅱ歴代誌17:6)こと、
③つかさたち、レビ人、祭司によって「主の律法の書を ・・・ユダのすべての町々を巡回して、民の間で教えた」(Ⅱ歴代誌17:7~9)ことでした。

こうして神様を慕い、従う心を南ユダ王国の民全体にもたらしたのです。
その結果、神様はヨシャパテ王をいよいよ祝福し、周辺諸国から守り、 国内のインフラを整備させ、116万の勇士たち(Ⅱ歴代誌17:10~19)を与えました。

神様とともに歩む

「神とともに歩んだ」と聖書の記述者が記しているのは、エノク(創世記5:22,24)、 ノア(創世記6:9)、そしてヨシャパテ王(Ⅱ歴代誌17:3)の3人だけでしょう。
それだけにこの時代に、聖霊がそのように証印したヨシャパテ王の生き方は さいわいなものであったと思います。

次回はヨシャパテ王の経験した戦いについて触れます。

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