魚の腹からの祈り

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2020年7月号より

ヨナは魚の腹の中から、自分の神、主に祈った。「私は御目の前から追われました。ただ、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです。」
ヨナ書2章1、4節

ヨナが祈っている聖書箇所から、「祈り」について一緒に考えてみましょう。
「祈り」は、神さまが私たちに与えてくださった最高の祝福です。私たちの目を天の御座に向けさせ、どこからその祝福が来るのかを教えてくれます。しかし私たちは祝福の意味を勘違いし、「祈り」をまるで打ち出の小槌のように、自分の願い通りになる道具のように考えてしまうことがあります。

ヨナは、魚の腹の中にのみ込まれることで、ようやく主に「祈り」をささげ始めました。神さまは、ヨナに神の御前で祈るように導かれたのです。「魚の腹の中」とは、「望みのない所」ということです。しかし、そこでヨナは「聖なる宮を仰ぎ見たい」と祈りました。神さまは、ヨナが死を目の前にして聖なる宮を見上げさせ、御座におられる神さまへの信頼を呼び起こさせたのです。

祈りとは、どんな状況にあっても「主を仰ぎ見ること」です。どんな暗闇の中にいたとしても、主を仰ぎ見るとき生きる希望が与えられます。自分のたましいが衰え果てたとき、ヨナは「主を思った」とあります。私たちに必要なことは、神さまが成されようとすることに思いを向けることです。自分の力では何もできない時に「主を思う」のです。そして祈りに導かれます。

祈りは、私たちの願い通りに神さまを動かすことではなく、神さまの願い通りに私たちが動けるように、神さまの心を知ることです。祈りは聞くことが重要です。私たちも困難や試練の中で、また喜びや希望の中で、色々なことが頭の中を駆け巡りますが、神さまは私たちが考えつかない恵みと力と知恵に満ちておられる方であることを覚えましょう。
「いっさいのものを、いっさいのもので満たす方」、主を見上げて祈りましょう。ハレルヤ!

牧師 佐藤耕二

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