あまりある恵み エズラ記10

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2022年12月号より

「…しかし私たちの神は、この奴隷の身の私たちを見捨てることなく、かえって、ペルシアの王たちによって恵みを施し…」
エズラ記9:9

神さまから与えられた最高のプレゼントを喜ぶシーズンがやってきました。みなさんもイエスさまの誕生を祝う準備に取りかかっていると思います。さて、エズラも「受ける資格のない者が、受け取る」という体験をしていました。

エズラ記9章に入ると、念願の真の礼拝者をたて上げるための指導をしようとしたエズラに衝撃が走る姿が記されています。3節「私はこのことを聞いて、衣と上着を引き裂き、髪の毛とひげを引き抜き、茫然として座り込んでしまった。」本当の故郷に帰ってみると、民たちは神さまが忌み嫌うことばかりをして生きていたのです。心からの礼拝どころか、神さまとの約束も忘れていたのです。これでは神殿を建て直す前と変わっていません。民たちの心が再建前の神殿のように廃墟になっていたのでした。

6節から15節までがエズラのとりなしの祈りです。この件に関して自分が罪を犯したわけではないのに、まるで自分が罪を犯したかのように民の代わりに神の御前に出ていきます。9節「事実、私たちは奴隷です。」

実際にペルシアの支配下に置かれていましたが、霊的に彼らは奴隷となっていました。神さまに従うのではなく罪や自分たちの気持ちの方に縛られているのです。今を生きる私たちも知らず知らずのうちにこの世や自分の価値観にこだわり続けてしまうことがよくあります。

15節「ご覧ください。私たちは罪過を負ってあなたの御前におります。だれもあなたの御前に立つことはできないにもかかわらず」と悔いて終わりではなく、悔い改めの祈りをしています。9節の続きで「しかし私たちの神は、この奴隷の身の私たちを見捨てることなく、かえって、ペルシアの王たちによって恵みを施し、私たちを生かして」と天の父がやり直しをさせてくださるお方だと彼は知っていました。あまりある恵みをいただいていることを心に刻んでいたのでした。

このように、神さまの思いとことばを携えて遣わされたエズラは、その恵みの大きさを味わっていました。
今、神さまの思いとことばそのものであるイエス・キリストが、私たちのところに届けられています。クリスマスまでの1ヶ月、この恵みをじっくり味わう時でありますように。

伝道師 深谷さおり

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